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mamirt
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1984~2000あたりでラボっ子 体育苦手な石神井高生50期 結構優秀なGENEVA HIGH98 東京の山奥のほうの法大生 足の遅いラクロッサーDF 3D思考不可web制作ゼミ生6期 CM制作会社のダンドリ下手なPM サポートされてたサポート [現在] 料理の苦手な妻 娘に弱いママ お気軽事務職 [職人の母:さち裁縫室] http:// sachicotsewing. blog.shinobi.jp [mamirtbaby] http:// mamirtbaby.blog.shinobi.jp/ カレンダー
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| × [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 10回/年を目標に文化的体験や鑑賞をすること。 PR 新しいものっちゅーのはそれが何であっても嬉しくて、 ばたばたと予定を決め、押し寄せてきたのは高校の同窓生。
3人と自分。 冷静に考えれば当時のつながりは決して濃くない。 でも同じ、あるいは自分とその人にリンクした思い出があれば 当時のつながりの濃い薄いなんて関係ないんだなと思った。 あんなヤツがいたとか、 こんな先生がいたとか、 あそこのトイレは汚かったとか、 もう決して晴れることはない靄の中の記憶をほりおこし 楽しかった。 10年もたつと、思い出せないことも多いもんだな。 記憶違いしてることもあるよな。 だから、アタシは卒業式にいなかったって。 戻ろうとも戻りたいとも思わないけど、 たまには掘り起こして自分のモトも見るのも楽しい。 10年というきりの良い数字。 懐かしむ時期なのかもしれないな。 例のトレーニング室へ。 シャンプーのストックが無いことを思い出し、 「おなかっていうのはサ、 カラオケ。
みなそれぞれに持ち歌があり、 その中心はなんと言っても自分の青春時代ではなかろうか。 麻美にとって90年代中~後半こそ、その嬉しハズカシ懐かしの時代であり、 「しあーわせのよーかん~」と聞けばあの教室を思い出し 「いつーのひーもーこのーむねにー~」と聞けばあのCMを思い出し、 「ちかごーろーわたしーたーちはー~」と聞けばあの仲間を思い出し、 「どこまでもーはてしーなくー~」と聞けばあの後輩を思い出し、 「なにもいーわーずーに~」と聞けばあの恋を思い出し・・・。 ただ、あの時代を席巻していた楽曲たちって言うのは どれもこれも音域が高かった。 アレにしてもコレにしてもソレにしても。 そも、低音の麻美にとって、 どれもこれもレパートリーにはなりえなかったし。 ところで、うちは車で移動することがダントツで多かった。 近所の買い物から家族旅行まで。 北は北海道、南は・・・四国にも渡ったんだっけか? とにかく車だった。 そして、選曲主導権がまだなかった幼き頃、 車内で流れていたのは 70年代後半から80年代前半にかけての曲ばかりだった。 「あのーきーえそーにもーえそーな~」と聞き、 「まーるーではりうっすきゃんだるぅ~」と聞き、 「びぃさいれーん、びぃさいれーん~」と聞き、 「なーぎさーのばるーこにーで~」と聞き、 「きみのひとみはいちまんぼるとぉ~」と聞いた。 そして、歌った。大抵は歌詞の意味もわからずに。 おかげでメロディは体にしみこみ、歌詞を見れば多くは歌える。 とある日、仕事の打ち上げでお得意さんとカラオケに行ったんだ。 一番下っ端だったから、否が応にも歌わされる。 そこで選曲したのが、幼い頃車内で聞いた上記のような曲たち。 そもそも歌がうまくないので そっちのほうが音域的にまだマシだろうとの判断で。 これがサ、なんつーか、どんぴしゃだった。 一緒に仕事をしていたのは自分の両親よりちょっと年下くらい。 麻美が選んだ曲たちは軒並み、彼らの青春時代楽曲だったんだよね。 ウケちゃってね、深夜までヤンヤヤンヤと歌い続けたんだ。 確か、後日第2回カラオケ大会までやったんじゃなかったか。 お年頃の、イマドキの娘であるにもかかわらず、 カメラマンをはじめ、公私どこでも「80年代」といわれてたけれど、 なーんだ、立派な武器になるではないか。 そも、自分自身が歌っていて楽しかった。 その日以来、自分の「80年代」にふたをするのをやめた。 聞いて楽しい90年代、 歌って楽しいearly80年代だという 自分の中にカラオケレパートリー定義が出来たから。 フッ。 | |