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mamirt
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CM制作会社のダンドリ下手なPM
サポートされてたサポート

[現在]

料理の苦手な妻
娘に弱いママ
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[職人の母:さち裁縫室]
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幼稚園時代。

上履き入れや、体操着入れなど、
袋という袋にはすべて
女の子のアップリケとフルネームが入ってました。
全部統一。母の手作りです。
 
1枚は、いまだに手元にあります。
結婚して親元を離れた今でもね。
 
小学校に上がっても、
給食時に使うテーブルクロスや
体操着入れ、習い事のバッグなんかも
多くは母の手作りでした。
 
シャツやワンピースだって拵えてくれました。
今使っている湯たんぽのカバーも母のお手製です。
レースのカーテンを縫ってもらったこともありました。
今使ってる布巾はすべてmade by 母です。
冬のおめかしワンピースは母が仕立ててくれました。
 
既製品じゃないことを恥ずかしく思ったお年頃もありました。
でも今思えば、とんでもない!
 
聞けばほとんど独学だっていうんだから、
手先の器用さに関しては一生母を越えられません。
 
そんな母に連れられてよく行ったのが、
池袋のキンカ堂でした。
 
生地を買う。糸を買う。
ボタンを買う。ファスナーを買う。
着物の小物を買う。
 
長い買い物に、
子供だった自分は飽きてしまうことも多々。
 
でも不思議なことに、大きくなって一人で池袋をぶらつくとき
何を買うわけでもないのにキンカ堂にふらっと立ち寄ることが
少なくなかったんだから、何やら親しみのある場所だったんでしょうね。
 
残念ながらそのキンカ堂は倒産の模様です。
 
しばらく行ってなかったし、
手作りなんてちっともできないんだけれども、
少しでも想いのある場所がなくなってしまうのはさみしいね。

あ、縫物、お仕事として承りまっせ。
もちろん、あたしじゃなくて、母が。
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COMMENTS
何度も言うけど、
器用じゃなくて、頭がイイんだよ。

しかし、寂しいねぇ。
ひとつの文化が消えていくようだよ。
by さっちゃん | 2010.02.23 (Tue) 23:59 | EDIT
うちも
うちの親も私が幼稚園・小学校の時は、キンカ堂で裁縫のための生地やボタンを買って、作ってくれたなぁ・・・。キンカ堂界隈、最近閉店している店多いよね。再開発するのかな。

なんか、記事読んでいて懐かしく感じました。けど、練馬区民?は御用達だったよね?
by さわ | 2010.02.24 (Wed) 02:23 | EDIT
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