昔はよくやりました。
通りすがりの妄想。
通りすがる。
歩いていても、自転車でも、車でもいい。
何か目に留まるものがあるとする。
階段でタバコを吸ってる上半身裸のおじいちゃんとか、
後ろに子供を乗せて走る、買い物帰りのお母さんとか、
向こうから歩いてくる、サングラスの若い女性とか
もしくはビルの上部にみえる、室内は散らかっているだろう窓とか。
その一瞬の光景を全ての情報に、その続きを勝手に考えるの。
特別なことでなくていい。
慣性の法則のように、その続きに起こるであろう想像しやすいこと。
タバコのじいちゃんは、一服終わると
左ひざに左手を当ててそれを支えに、よいこらしょとたちあがり、
時計回りにカラダを回転して右足から、
やれやれと階段を上がって戻っていく。
タバコの吸殻は、ちゃんと手の中。
買い物帰りのお母さんは
その後の信号待ちの間に後ろの子供に話し掛ける。
こどもは、どうしただろう、淡々と受け答える。
まだまだかわいい年齢なのに、その落ち着きっぷり。
まだ帰りたくなくてすねているかもしれない。
サングラスのおねえさんは、
麻布十番の一角のマンションに住んでいて、今日はおやすみ。
昼になってようやく行動開始、ぶらぶらと駅に向かう。
十番在住ということが手伝って「ふふん」ってかんじ。
きっと「フフン」っておもっている。今すれ違った瞬間にそう思っている。
あのビルに見える窓の中は、窓際にはOA機器がならんでて
どちらかというとSOHO的職場。
窓付近のあのラックにはちょっぴりほこりがたまってるけど
普段は手が届かないし、気になるほどでもないから放って置かれてる。
なんて具合。
歩いているときよりも、
車の助手席や、特にバスに乗っているときに多い。
ゲームを始めようとする気も無いのに、勝手に続きが思い浮かぶ。
ターゲットになりやすいのはこちらと目が合った人。
もしくは、合ったと思われる人。
始まりやすいのは、比較的よく知っている場所。
曲がり角が起点になって想像することがおおい。
っていうか、しやすい。
すれ違った瞬間から、
自分の見ているものから相手の見ているものにスイッチする。
自分の目ではなく、相手の目になる。
だから、自分の乗っているバスは目の前を通り過ぎていく。
今自分が来た道は、その人は目の前の光景になり、進んでいく。
横を向いていた自分が正対に戻った瞬間から、
その相手の光景が目の前に広がる。
だから、自分が歩いているのが見える。
結構好きなんだな。これがまた。
昔はしょっちゅうそんな光景がアタマを回っていたのに
最近そんなことが少ないのは、頭が固くなってきたせいかなと思う。
頭が固くなるにはまだ早い。
アタマのためにも意識的に妄想しようかなと思った午後でした。
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