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mamirt
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1984~2000あたりでラボっ子 体育苦手な石神井高生50期 結構優秀なGENEVA HIGH98 東京の山奥のほうの法大生 足の遅いラクロッサーDF 3D思考不可web制作ゼミ生6期 CM制作会社のダンドリ下手なPM サポートされてたサポート [現在] 料理の苦手な妻 娘に弱いママ お気軽事務職 [職人の母:さち裁縫室] http:// sachicotsewing. blog.shinobi.jp [mamirtbaby] http:// mamirtbaby.blog.shinobi.jp/ カレンダー
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常にブラインドが40cmほどさがった状態で、 さらには冷蔵庫、テレビ、キャビネットが窓の前を占拠。 せっかくの大きな窓も、直線虫食いで小さい景色。 その景色は、空とビルと、占拠物からちょっとのぞくみどり。 しかも北向き。 変化といえば、 刻一刻と変わる遠くのビルの陰影と 時々飛んでいる鳥。 この前は、とおくにたこが飛んでいたな。 ついこのまえは、紙っぺらが風に舞ってたな。 まぁ、そんなものが飛んでいるのは めったなことではないからね。 あまりにも代わり映えのしない風景。 まるで景色のポスターをはりつけたような存在だよ。 保健所送り。
ああ、なんと残酷で残念で、悲しい響きだろう。 これをうまーくベールに包んで表現したのが、 「老年パラダイスに送る」。 ミクシィでアプリをやっている人ならわかるかもしれない。 限られた資源で動物を育て、卵やミルクなどの生産物を売り、 売ったお金でさらに資源を拡張させ…といった農場ゲーム。 動物には死がつきもので、そこは巧みな表現で避けられている。 それが、「老年パラダイスに送る」というもの。 もう生産ができない老年期に入ると 動物はみずから 「そろそろ引退させてください」とか、 「もう老年になり働けません」「もう年だから歩けませんよ」といって、 老年パラダイス行トラックをプレイヤーに求める。 残念ながらゲーム上の農園では飼える家畜の数は限られ、 場所を取るだけなのでしかたない、「老年パラダイス」におくる。 パラダイス行のトラックをクリックし、引退させる動物をクリックする。 トラックの荷台に箱が現れ、びゅんとフレームアウト。 送ったら送りっぱなし、彼らのその後を知る由はない。 麻美がゲーム上でトラックを呼んだのを見て、 夫は「ああ、保健所送りだ、妻が残酷なことしてる!」と ちゃかした。 たしかに、これは、うん、なんと言おうか、かなしい。 もうひとつ農場ゲームをかけもっているが、 そちらは「寿命のため、農場を去りました」という表現で 時間が来ると自然にいなくなってしまう。 寿命までの残り時間が表示されるので 「そのとき」はわかるのだけど、 そのタイミングでゲームをしているとも限らないので まぁ、「いつのまにかいなくなる」ように感じる。 まだこのほうが、「処分する」という感覚が薄くて 遊んでいるこちらにもダメージが少ないかな。 「老年パラダイス」のほうは、 もう止めようかなと思う。 雨の六本木。
ランチにすこし時間を置いた頃、 3人で集まる。 ひとりは高校同級生。 ひとりは高校時代担任。 担任がいるからといって 特にかしこまった席を用意したわけでもなく、 インド料理を食べに行こうとと急遽企画して 集まれたのがこの3人ってだけのこと。 日々の話、子供の話、旅行の話、 思い出話、黒菱山荘の話、 なにやら共通のあらゆることを縦横無尽に 話した結果、 お酒もないのに5.5時間の長話。 あぁ、こういうのって久しぶり。 ただ、しゃべって、しゃべって、聞いて、しゃべって。 何を結論出すわけでもなく、 何を追求するわけでもなく、 ただ時間を共有し、思いを共有する。 男の子とは出来ない、女の子の楽しみ。 あぁ、ちょっと忘れてた。 すごく楽しかった。 冬は黒菱山荘ツアーの話が上がっています。 石神井生のみなさま、いかがですか? すこしずつ、すこーしずつ近づいております。
まだとおい。まだあつい。 でも、あとひと月すれば・・・。 あくんですねー。いろいろと。 http://www.snowsteez.jp/feature/special/2010_season/ 麻美の目は左利きだ。
アイラインを書くとき、 右目は他人事のように書かれるがままにされているのに、 左目はいまにもつむってしまわん、こわごわした対応。 カメラのファインダーをのぞくとき、 右目で見るよう構える一方で、 左目は頬とまぶたに力が入って必死で瞑ってる。 そんなんだったら左で見ればいいのに、 手は学習せずに、いつもいつでもいつまでも右目対応。 洗顔後保湿するとき、 しみこめしみこめ~と両手で顔を覆うなか、 こっそりテレビを見ているのは左目。 耳も、どちらかというと左のほうが得意な様子。 電話を取るのは右手でも、聞くのは左耳。 右利きの多くは、左脳に言語中枢があるらしいですから 右耳で聞くほうが効率的のようですが、 ついつい左耳で聞いちゃうわけです。 あれ、もしかして、やっぱり左利きなのかな。 かつて、
ひとつのイメージをつくりあげるのに、 あれでもないこれでもないと 本屋へ通い、雑誌をめくり、 ネットでイメージ検索をし、ストックフォトをあさり、 どにかく膨大な時間を費やして素材を探すことが 仕事の一部だった時代があった。 使いまわせるケースは皆無にひとしい。 だから、そのたびに 同じ作業を 違うイメージのために繰り返した。 それがどうだろう、こんなものが現代にはあるのか。 | |